地元の西鉄バスを中心に、いろいろな地域のバス路線風景を記録しています。西鉄以外の地域にもすぐ行きたくなるので、どこかで「九州路線バスの旅」とでも改名しようかと検討中ですが、西鉄バス中心に回帰しようという気持ちもあります。雑誌「秘境路線バスをゆく」に寄稿させていただきました。

2015年05月30日

上警固


「上警固」。
以前「62」があっちもこっちもに行っていた時代、
本数の少ない警弥郷行きは私の憧れの場所のひとつでしたが、
いま考えると老司で本線から分岐して上警固の次はもう警弥郷。
小学生でも歩いていける距離だったのだな、と感じます。



行き止まりの終点だった時代より本数は増えて、
そのまま博多南駅を経由して那珂川ハイツまで「62-1」が行きます。
警弥郷にしても弥永団地にしても福岡市の端っこ、境界近くだったんですね。

ここに市界があるのは、地形的なものなのか、何なのでしょう。
そして警固というくらいですから、那珂川を境界にしたのか、
それとも水城のように高台を背負って進入路を守ったのか、
とにかく何か関となるものが置かれていたということかと。
郷土史を少し調べれば判るであろうことを、
なるべく憶測だけで語るというゲームを、このブログ内では常に行っています(笑)。



えーっと、有名な洋菓子屋(笑)。記憶がすんなり出てこなくなるのが、
人並みにちょうど40歳を境にやってきて、自分が一般人であることを実感する私。



飛行機、飛びます。パチンコと本屋。



古本屋も。




大長酒店。こういう典型的なタバコ販売のスタンドも、
きっともうふた世代くらい経てば懐古趣味のアンテナに引っかかるものになります。



そんな通り沿いにいろいろと並ぶ上警固と老司の間に那珂川が流れていて、
元は警弥郷方面に直進する方が本道だったのだろうという橋台の跡。
いまは新幹線の高架下から須玖岡本に続く道のほうが直進扱い。
この辺は、混雑緩和のため車をどちらに誘導するのか、
という意図的な部分も大きいと思います。



そのために、なんか妙な交差点の形になってまして、



もと道だった部分が、広い歩道の隅にのようになって、



上警固へのバスは、



不思議なカーブを描かされます。



都心方面。



「62-1」は大橋行き。午前中だけ「630」が野多目ランプから呉服町へ。



平日朝だけ、藤崎直行も。
これは200番台が天神から福岡タワー行きになるのと同じ意味合いで、
天神で待機時間を取って折り返すより、
天神~百道の需要充足にそのまま活用しよう、という類いのもの。



富士通とか日立とかIT関係とかにお勤めで、ここから直通便に乗る人もおられるでしょうが、
天神から先はもうタワー藤崎方面ってゾンザイに扱ってもいいのかも。

学生時代道善に住んでた友達か、九大前から那珂川営業所まで、
「61」を始発終点で利用して往復通学していましたが、
そういう中心部を通過して両方向への需要って、福岡では特に難しいようです。

そこそこどこにでも住む場所があるからかもしれませんね。
よっぽど家庭持ちで家買っちゃってる人でもない限り、
ここに住んでて藤崎に勤めることになったら、
予算に応じて室見か姪浜か野方か次郎丸か、
どっかに新しく住むとこ借りる方が現実的だと思いますもん。

ちなみに警弥郷にあった私の勤務先は、糸島市に移転して、
春日や那珂川から通い続けている人もおられますが、みな車使用です。そういうもんです。




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Posted by ちょんびん at 17:17│Comments(4)福岡緑
この記事へのコメント
警弥郷支線は猛烈な請願の末警弥郷までの道路を作る、橋を架け替えるなどの努力の末に作った路線です。南区の図書館に「警弥郷史」という資料があって、かなり詳しく載ってます。
昔はこのバス通り沿いに店がずらっと並んで本当に栄えてたから、バス路線の力って大きかったんでしょうなあ。

しかし小学校の頃の自分に「藤崎行きが警弥郷から出る時代が来るぞ!」って教えたらどんな顔するかな~。
Posted by ジマオ at 2015年06月07日 19:05
物心ついた時から警弥郷は「62」だったので、
老司の方から接続するのが当然のような気がしてましたが、
地形だけ見れば、那珂川の東岸なんですよね。
何かのはずみで、「46」の方に接続していた可能性もありますね。

警弥郷史、ぜひ要約して解説してください(丸投げw)。
警弥郷から藤崎行きが出るのは、「49」が飯倉に行ったことを思えば、
似たような驚きで受け入れられるはずです(笑)。
Posted by ちょんびんちょんびん at 2015年06月07日 23:21
丸投げされ多分書き上げましたー!
http://jimao.syoyu.net/%E8%A5%BF%E9%89%84%E3%83%90%E3%82%B9%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E5%B8%82%E5%86%85%E7%B7%9A46%E7%95%AA/

「44・45番変遷史」とかもやり始めるときりがないんだけど、筑紫通りの開通の歴史がネット上にはあまり落ちてなく紙ベースであたるしかなさそう・・・。
多分、東光寺~宮園~那珂~板付団地を廻って諸岡に抜けてるはずで、そういう古地図を何度か目にした記憶もあるんですけどね・・・確証がなくて。

45番は井尻以南は「弥永団地」「上白水」「博多南駅」みたいな正統派井尻フィーダー線もあり、「井尻~昇町~岡本経由雑餉隈営業所」みたいな上下線ともにフィーダー線スタイルという変わった経路を持ってた路線でしたねー。渋滞ポイント多すぎて全然時間通りに来なかった。
Posted by ジマオ at 2015年06月09日 19:01
おつかれさまです~☆

「45」は井尻を軸にして博多と郊外両方向に行ってたって感じですかね。
私にとっては遠い世界の話なんですよね~。
一応の変遷は押さえているつもりですが、暗記はできていないので、
各時期の路線図見ながら懐かしむくらいのことしかできません。
Posted by ちょんびんちょんびん at 2015年06月09日 22:10
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