地元の西鉄バスを中心に、いろいろな地域のバス路線風景を記録しています。西鉄以外の地域にもすぐ行きたくなるので、どこかで「九州路線バスの旅」とでも改名しようかと検討中ですが、西鉄バス中心に回帰しようという気持ちもあります。雑誌「秘境路線バスをゆく」に寄稿させていただきました。

2008年10月26日

早良営業所


早良営業所。「早良」という言葉は使用範囲が広いので、ややこしいですね。
「2」の分岐点が「早良口」で、「3」の分岐点が「脇山口」であることからもわかるとおり、
「早良」というのはもともと四箇田団地の方面、入部とか金武あたりのエリアを指すのでは?

それが早良区ができたせいで、南北に長いエリア全体も「早良」になり、
エリアを代表するものに「早良」がつけられるようになりました。
現在の早良郵便局は防塁前のバス停前ですが、以前は早良営業所の近くにが早良郵便局がありました。

「3」の主要行先も「早良営業所」と「早良高校」ですし、早良高校にも営業所があります。
でも早良高校の営業所は「脇山営業所」です。
ふだん「3」を使っていない私は、「早良営業所行き」と表示されていて、
これがどのくらい先まで行くのか、数秒ですけど考えないとピンときません。

話はずれますが、この混濁は、「室見」でも起こっていると思います。
もともと地名の室見は室見川の河口近くですが、室見自体の地名イメージがよいので、
室見から離れた室見川の沿岸に「新室見」ができたり「室見が丘」ができたりするのです。

西鉄バスの金武営業所行きは「イトーピア室見が丘」を表示しないといけないのですが、
もともと「室見団地」と「室住団地」がややこしいため、「202」は「むろみ団地」とひらがな表記でした。
それが「室見が丘」は漢字表記なので、「2」の室見が丘行きと室住団地行きが、
LEDのぱっと見で判別できずにいます。



とまあ、それはさておき、早良営業所は早良高校よりも早良平尾よりも都心側にあります。
現在は曲渕と椎原は天神方面からの直通がないので、ここ早良営業所で乗り換えが必要です。



定期券やバスカードの発売事務所。



早良営業所始発の天神博多方面行きは、営業所北側から発車し、
信号から右折して都心へ向かっていきます。ほかに「さわら台団地」への始発もここから発車。
南からやってきた都心向けは、国道のすこし北側「早良営業所前」に停車します。
乗り継ぎの利便性を考えると、全部営業所内に突っ込んでもいいように感じますが、
そこまでの需要はないのでしょうかね?



南方向は国道沿いから発車。以前はこのへんを境に郊外路線の様相だったのですが、
早良高校への路線本数が充実してから、沿道に住宅が増えて、
野田のあたりまで、「田舎!」という感じの風景はあまり見られなくなってます。




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Posted by ちょんびん at 23:23│Comments(6)福岡青
この記事へのコメント
こんにちは。

一説によれば、早良という地名は、「早」い時期に「良」い米がとれていたことに由来するといわれます。
古来から、現在の早良区より広範囲な地域も狭い地域もさしていたようです。
近世には、早良郡(現在の早良区、中央区鳥飼、西区姪浜、同金武、南区桧原、城南区等)がありました。
近代には、早良町(現在の早良区入部、同内野、同曲渕、同脇山等)がありました。

早良口という名は、唐津街道と三瀬街道(旧早良街道と一部重複)との分岐点に由来するのでしょう。
脇山口という名は、唐津街道と脇山街道(板屋街道とも)との分岐点に由来するのでしょう。
Posted by M at 2010年08月30日 13:36
こんにちは。

早良口から分岐するのか、旧早良街道であって、
それが早良の中心に行くはずだと思うんです。

でも現状は、早良妙見口も早良平尾も、
旧早良町の役場(入部)も脇山街道のほうにあり、
じゃあ早良街道(旧)が想定した早良の中心とは、
いったいいつの時期のどのへんなんだか、と考えるのです。

宿場と山の関係からすると、金武あたりなんだろうと思いますが。
Posted by ちょんびんちょんびん at 2010年08月31日 12:58
こんにちは。

個人的には、早良口交差点から三瀬峠への道路には、早良郡の主要街道としての機能があったと考えています。
明治通りや福岡市内電鉄の整備、早良郡各町村の福岡市への編入順序なども関連しているかもしれません。
古地図には、下記の各道路のほか、原、貞島、金武等の各集落も点在していました。

・明治22年頃、現在の西新二丁目交差点付近に早良郡役所が設置される。
・大正10年頃、福岡市天神から早良郡西新町と早良郡内野村経由で佐賀県への道路が福岡県道第一号福岡佐賀線に指定される。
・昭和元年頃、現在の西新二丁目交差点から城西一丁目交差点、弥生町交差点、貞島交差点、金武、内野交差点、曲渕経由で三瀬峠への道路が整備されていた。早良口交差点から弥生町交差点への道路と、金武から飯場峠経由で曲渕への旧三瀬街道も整備されていた。
・昭和元年頃、現在の西新二丁目交差点から城西一丁目交差点、荒江、西南分校前交差点、野芥、早良平尾交差点、脇山経由で板屋峠への道路が整備されていた。脇山口交差点から荒江への道路と、脇山から内野大橋交差点への道路も整備されていた。
・昭和10年頃以降、現在の大井手橋が室見川に架橋され、曲渕水源地が造成され、早良平尾交差点から内野交差点への道路が整備される。

上記から、大正期の指定県道第一号が、現在の早良平尾交差点から内野交差点への道路ではありえないので、早良口から三瀬峠への道路であっただろうと推察できます。
Posted by M at 2010年09月01日 18:54
なるほど、原通りは福岡県道1号なんですね。
当初は、城西一丁目から弥生町のほうが本道で、
電車通りとの短絡線のような意味合いで、
早良口・脇山口はほぼ同時期に整備されたと考えたらいいのでしょうか。

そして、原を通る方が県道1号であれば、
大きな地域を指す早良の入口として、
県道の方が主要幹線として意識され、
早良口という名前になったように感じます。

それにしても、西南分校前交差点を通るってことは、
まだ荒江から野芥は旧道のほうでしょうし、
脇山口から荒江ってのは、そこだけ新道が別にできてたんでしょうかね。
図書館に古地図見に行ってみます。
Posted by ちょんびん at 2010年09月02日 18:56
こんにちは。

城西一丁目交差点と弥生町交差点を結ぶ道路は,紅葉八幡宮に面しています。
紅葉八幡宮は,早良郡内を変遷して現在地に鎮座していますが,早良郡の重要な宮とされていました。
紅葉八幡宮に面した道路が早良郡の幹線となることは,当時においては,自然なことだったろうと思います。

また,大正10年頃には,早良郡西新町が福岡市に編入されています。
それ以降,現在の早良口交差点は,当時の福岡市から見て,早良郡姪浜町や早良郡原村大字原への出入口となったと思われます。
早良郡の主要な町村や地域への出入口という意味で,早良口と名付けられたのかもしれません。

私もいつか早良口の名の由来を明らかにしたいと思います。
Posted by M at 2010年09月03日 10:19
こんにちは。
原村も早良郡なのですねぇ、そういえば。
ならば原あたりから先の全エリアを、
福岡市からみて早良と考えて、
その入口が早良口なのは、しっくりきますね。

紅葉山と祖原山の間を越えて弥生町に抜ける道、
弥生町という交差点の名前や、
道路の曲がり具合に歴史が感じられます。
旧街道って、何かしらよい雰囲気のものが残ってますね。
Posted by ちょんびん at 2010年09月03日 17:04
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