地元の西鉄バスを中心に、いろいろな地域のバス路線風景を記録しています。西鉄以外の地域にもすぐ行きたくなるので、どこかで「九州路線バスの旅」とでも改名しようかと検討中ですが、西鉄バス中心に回帰しようという気持ちもあります。雑誌「秘境路線バスをゆく」に寄稿させていただきました。

2015年08月27日

プラリバ西新パレス前


西新パレスのボーリングのピンと、プラリバのビル。
西新を代表するのはこのふたつの建物だったと思うのですが、



現在は一方通行の道。
昭和53年くらいまで、ここは両方向交通で、市内循環のバスが走っておりました。
おそらく、西側の交差点から鋭角に曲がるのを避ける意図があったのかと。



バスは相変わらずたくさん走っておりますが、



先にビルがなくなるようです。エルモール。



それでも、私の注目は



どっちかというと、バスメイン。
建物がなくなることより、バスの後ろにある風景がひとつなくなることを重視。



西新パレスのテナントも、私が高校生のころとはすっかり変わってしまって、



福岡ドームも、ヤフオクドームに。



と、郷愁に浸りつつ、半年もたたぬうちに既視感のある記事を書いております(笑)。



次に惜しむは、58MCか電代塗装か、それともチャボか。




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この記事へのコメント
おはようございます(^o^)
西新パレスの建物も、元々は旧西新営業所の一部で、親父が車掌だった頃はなかったそうです。


西行きのパレス前バス停は写真一枚目の道路の手前にあったのですが、西新岩田屋エルモール開業と同時に現在地に移動して、今川橋とパレス前の間に西新一丁目バス停が片方向のみ新設されたと記憶しております。つまり地下鉄開業と同時だったのです。

偉そうに断定的に言い切っていますが、うろ覚えもあるかもしれないので、その際はご指摘くださいf(^_^;


写真一枚目の道路を6番が走っていましたが、6番はなぜか固定されたバスで、ハンペンでもカマボコでもなく、その前の型にあたる丸バスだったんです。当時丸バスはごく少数派で、ハンペンが新型で巾を利かせていた時期でした。

6番はエルモール開業とほぼ同時期に写真の道路を通らなくなると、貫線から昭和通り経由に変更になったと記憶しております。その頃に、丸バスも市内中心部から消えたような気がします。(ローカル線では走っていたかもしれませんがf(^_^;))


西新営業所始発の博多行きに乗った事が何度かありましたが、なんともいえない気分でした。バス待ちで防塁前方向を見ていたら、遮るように目の前にバスの中扉がヌーッと現れるのですから(笑)

その光景も二度とパレス前では味わえませんね。あ、バスのかわりに人はヌーッと現れますがf(^_^;
Posted by 暇工作 at 2015年08月27日 10:07
こんにちは。
西新パレスの開業時期は100年史で間違いなく読みましたが、
きっちり忘れました。昭和40年代後半くらいですかねー。

西新一丁目の開設時期はそのくらいで間違いないです。
エルモールの前にバス停が移転した記憶があります。
地下鉄開業とエルモールは小3なので、昭和56年かと。

6番の車体は、私には全く分からない話なので、
誰か反応してくださるのを待ちましょう(笑)。
6番、昭和通経由に変わりましたっけ?2番の記憶は鮮烈なのですが。

2番が貫線から昭和通に変わったのは地下鉄の開業絡みなのですが、
これが最初の室見天神開業か、博多開業なのか憶えてません。
家に当時の路線図はあるんですけどね。見るのが面倒で(笑)。

西新始発、博多方面はあまり縁がありませんでしたが、
金武方面は、高校時代の帰宅に狙って乗ってました。
岩田屋に向かってあの道を横断する場面が好きで。
デジカメがあれば間違いなく撮ってたと思います。
Posted by ちょんびんちょんびん at 2015年08月28日 11:02
こんにちは。
6番が貫線から昭和通に変わったのはもしかしたらうろ覚えかもしれませんf(^_^;仕事で親父が北天神に行くときに、昭和通りで降ろしてくれていたので、それで混同しているかもしれませんf(^_^;。


2番が貫線から昭和通に変わったのは間違いなく博多開業絡みです。それまでは羽根戸行きや四箇田行きに当時の岩田屋前から乗っていましたから(笑)


西新始発の西方面は、たしか歯科大行きがありましたね。丸バスの中型だったので鮮明に覚えています。


58MCより前に製造されたバスは、フロントとリアを見たら供給メーカーがわかってよかったのですが、それ以後は号番を見ないとわからなくなったので残念ですf(^_^;

エンジン音を聞いたら今でもメーカーはわかりますが、近くに行かないといけないので、それなら結局号番を見たほうが早いので(笑)
Posted by 暇工作 at 2015年08月28日 13:18
こんにちは。6番に使用されたバスのことですが、昭和55年頃にはすでに53MC初期型の7026~7035(昭和54年納入)の10台が使用されていたようです。当時の西鉄バス乗務員に配布されていた「なかま」の昭和56年版の22~23ページの下部分に小さく写っています。
前にも書いたと思いますが、この10台だけは他の同時期に製造された量産型53MCと違う部分が2つあって、1つ目は運転席側最後部の固定窓がない、2つ目はリアのナンバープレートが左側にオフセットされている(他の53MCの日野は真ん中にある)ことです。
この違いはおそらく昭和53年に19台納入された53MCの試作車と同時期に製造され、その一部が昭和54年納入分として7026~7035の番号を与えられたからだと考えています。

7026~7035のリアの表情はこれとほぼ同じです(これは短尺のサブエンジン冷房車です。7026~7035はもちろん直結冷房車です)。
http://pbs.twimg.com/media/CGu7EoJUQAAZNUh.jpg

他の同時期に製造された量産型53MCのリアの表情
http://www.tonkotsu.net/bus/img/7001-1.jpg

そして昭和58年頃にいすゞの1599・1600・1606の3台が上記の10台とともに6番で使われるようになり、ごくまれに72代が代走する以外は原則的にこれらの13台が平成2年10月のダイヤ改正まで使われ、その後はUDのスペースランナーに置き換えられています(同時に福岡貸切から千代へ移管)。

2番が貫線から昭和通りに変わったのは昭和56年7月26日の室見~天神間開業で間違いありません。手元に西鉄創立80周年記念冊子があり、その中に昭和56年7月26日のダイヤ改正に関するチラシの画像があります。
Posted by E52 at 2015年08月28日 13:19
こんにちは。
今回は私、結構間違いのないことを言ってたみたいです(笑)。

2番の昭和通変更が56年ということは、天神開業の時点ですでに、
貫線経由は地下鉄と競合すると過剰供給、という判断ですね。
歯科大行きがあったのも、その頃の話だと思います。
高校(1988-1991)時代は、もう歯科大構内行は無かったかと。

58MCが最近見分けられるようになって喜んでるレベルの私は、
53MCの違いについての説明を理解するまで時間をいただきますが、
暇工作さんの言っておられる丸バスってのは、
53MCより前の世代のバス、ってことでよいのでしょうか?

写真を拝見したら、「ああ確かにこんなん居たな」とは思うので、
懐かしいのは確かなんですが、それがどの時代の話で、
さらにはどの路線に入ってたかといわれると、もうさっぱり(笑)。
Posted by ちょんびんちょんびん at 2015年08月28日 13:47
E52さん初めまして(^o^)

やっぱりうろ覚えがばかりでしたねf(^_^;

ただ6番の丸バスは昭和56度に実際乗ったので間違いはありません。たまたま代走だったんですかねー。福岡市内にもまだこんなのが走っていたんだと思ったくらいですから。

ちなみに丸バスは53MCより前が所謂カマボコで、その前ですから、56年にはほとんど走ってなかったんです。親父が車掌になった頃に新製配置されてたバスと思われます。だから中ドアのすぐ後ろには車掌台とドアスイッチがついていました。乗ったバスは椅子をすでにつけてありましたが…。

リアの上部にあったロケットマーカーが格好よかったんです(笑)


2番はそうだったんですね。これもうろ覚え(笑)


そういえば早良や飯倉の32代は運転席の計器が変わった号番で、大型トラックのそれとリンクするようになった時期でした。それまでは、いたってシンプルでした(笑)

ご指摘ありがとうございました(^o^)
スッキリ整理できました(^o^)
Posted by 暇工作 at 2015年08月28日 17:25
暇工作さんはじめまして。E52と申します。

丸型バスは昭和56年にもいたんですね。その当時は3歳だったのでまったく記憶にありません。自分が記憶に残っているのは4歳くらいからで、その時にはもうカマボコや53MCしかいませんでしたね。
そんな自分ですので、過去の西鉄バスに関することを書き込む時は、今は亡き祖父からもらった西鉄関連の冊子(創立80・90周年記念冊子含む)、路線図、西鉄百年史、雑誌、西鉄バスに関するホームページ、そして自分のつたない記憶を頼りに書いています。

幼稚園通園時は毎日のように6番に乗っていたので、当時6番で使われていた車両の形やエンジン音は今でも覚えています。
だからたまに壱岐などに大量にいた同時期に製造された日野の53MCに乗ると、「なんで6番の日野は他の日野とリアの形やエンジン音が違うんだろう」って思ってました。

2番の件も手元に西鉄創立80周年記念冊子があるから分かっただけで、もしこの冊子がなかっら分からなかったと思います。

早良や飯倉の32代は93が原北中学校前まで来ていた時によく乗っていました。側面のウインカーの形状がなぜか乗用車チックな横長タイプだったのを覚えています。同時期に製造された他メーカーの車両は正方形に近いタイプだったのに…。
32代から運転席の計器が変わったのですね。自分は外観やエンジン音ばかり気にしていたので、計器類や内装のことは気にしていませんでした(笑)
Posted by E52 at 2015年08月29日 01:16
昭和世代の新しい出会いを嬉しく思います(笑)。
47年生まれのちょんびんです。

こないだ小倉でバス関連のオフ会に行っても、
昭和60年代生まれがひとりいる以外は、みんな平成生まれ。
若い世代と関われるのは有難いのですが、
この話題ちゃんと通じてんのかな、と不安になることも屡(笑)。

私は幼稚園通園で「2」番に乗っていました。
原往還から弥生二丁目まで小児の初乗りが30円で、
緑色の回数券を2枚持って、拡幅される前のバス通りで
バスを待っていたのを思い出します。

この趣味の場合、先に生まれた人は、
その記憶を何らかの形で遺さねばならない、と最近思います。
周年の記念冊子に載る資料などはその典型で、
何を取捨選択するかは、後の人に任せればよいので。
さてこのブログ、いつか誰かの役に立ちますやら(笑)。
Posted by ちょんびんちょんびん at 2015年08月29日 14:31
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