地元の西鉄バスを中心に、いろいろな地域のバス路線風景を記録しています。西鉄以外の地域にもすぐ行きたくなるので、どこかで「九州路線バスの旅」とでも改名しようかと検討中ですが、西鉄バス中心に回帰しようという気持ちもあります。雑誌「秘境路線バスをゆく」に寄稿させていただきました。

2016年10月04日

国鉄末期の筑豊を訪ねて

私が筑豊地域に初めて足を踏み入れたのは、昭和57年頃だったでしょうか。
当時はまだJRではなく国鉄でした。多額の借金を抱えて改革が必須とされ、
多くの不採算ローカル線の廃止が検討され、分割民営化へと進んでいく、過渡期の真最中でした。

全国版の時刻表を見ても、筑豊地域の路線図の複雑さは抜群でしたが、
多くが廃止検討対象になっており、全部が消えてしまったら、どんなに寂しいだろう、
けれども私にできることは何もないと、幼いながらに将来を憂い、無力感に苛まれていました。

まず、北海道の美幸線と「日本一の赤字線」を争っていた添田線が60年に消え、
翌61年に漆生線、1年空けて上山田線が63年に廃止されると、
筑豊南部の路線図は、急に閑散としたものになりました。
私の小学校卒業が60年3月のため、まだ財力も機動力も持ってはいませんでしたが、
親や祖母にねだって、廃止前に1度ずつでも乗れたことは、今になって良かったと思います。

当時、筑豊の国鉄路線を廃止に追い込んだ要因のひとつが、
各地に潤沢な本数が走る西鉄バスの存在でした。
伊田から大任を経由して添田に向かう、添田線に並行する18番は、1時間に1本程度走っていましたし、
飯塚から鴨生経由で上山田方面への13番は、1日60往復(苦笑)、1時間に4本から5本の高頻度路線でした。

いっぽう添田線は朝8時台の次は夕方16時台で計6往復、
上山田線は飯塚上山田間こそ10往復あまり走っていましたが、
上山田川崎間は朝夕のみ、漆生線の漆生下山田間は8時台と18時台の2本のみ、というダイヤですから、
旅客輸送で鉄道がバスに敵うはずがありません。

現状のローカルバス路線は、当時の国鉄に似ています。
無くなれば困る人はいても、代替タクシーが走れば足りるだけで、
輸送手段としてバスである必要もありません。
けれども、鉄道、バス、それぞれの風情は他で醸すことのできないものであり、
失われてしまえば、復活させることはほぼ不可能でしょう。

筑豊地域のローカル線廃止を惜しんでいた30年前と同じく、
時代の流れに抗う手段は、未だ見つけられずにいます。
しかし、ネットによる情報交換と、デジカメによる画像保存のコストが格段に安くなった昨今、
思い出を補完するものとして、たくさんの人に、目の前にある鉄道やバス路線、ターミナル施設等々、
多くのものを記録していただきたいのです。

ある時に思い切って買ったものも、なんとなく残していたものも、何十年か経つと、等しく価値が出ます。
今そういう実感を得る年齢になりましたので、ここに記させていただきます。

※この文章は、第二回西鉄バス路線完全復活祭 添田ローカル編 旅のしおりに寄稿したものです。



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この記事へのコメント
私がここのサイトを訪れたきっかけが確か筑豊線の筑前垣生駅に反応した
時だったと記憶しています。生まれはあのあたりで生まれました。。

まだ遠賀川の渡し船があありました、室木線とか香月線とかよく利用していた
のでなくなった時は驚きましたが、その当時はあまり気にはしてませんでした、

この歳になってたまにその廃線後をみたりする機会があると
なんともいえない気分になります。

興味深い記事大変ありがとうございます、
Posted by なかの at 2016年10月04日 09:15
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