地元の西鉄バスを中心に、いろいろな地域のバス路線風景を記録していましたが、当方都合により過去記事は非公開になりました。西鉄以外の地域にもすぐ行きたくなるので、どこかで「九州路線バスの旅」とでも改名しようかと揺らいだこともありましたが、たぶんずっと「西鉄」の名前を消さずにいると思います。最終的に回帰するのは地元ってことでしょうか。でも子育てが終わったらどこかに移住したい気持ちもありますね。

2009年08月30日

朝倉街道

朝倉街道朝倉街道朝倉街道
朝倉街道バス停、二日市方向です。駅のすぐ前です。
バス停の看板には二日市交通のロゴが残っています。
日田や杷木へのバス利用を誘導する看板もあり、ターミナルの雰囲気があります。


朝倉街道朝倉街道朝倉街道
反対側、朝倉方面には、きれいにまとまったターミナルがあります。


朝倉街道朝倉街道
大きく掲示された路線図や時刻表も、遠くまでいける気分を盛り上げます。


朝倉街道朝倉街道朝倉街道
わずかではありますが、日田や高塚への路線も残っています。


朝倉街道朝倉街道
踏切を行き来するバスも楽しめます。


朝倉街道
杷木方面はLEDと幕が混在。


朝倉街道
上西山~二日市は二日市交通カラーのバスをよく見ます。
それほど行先にバリエーションがあるわけではないですが、
この規模も朝倉街道の魅力のひとつではないでしょうか。



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Posted by ちょんびん at 08:28 │二日市
この記事へのコメント
こんばんは。

半年以上前の記事にコメントとは、なかなか失礼かとは存じますが、容赦なく(?)…いや遠慮なくコメントさせていただきます。記事読んでいたら絶対コメントしたはずなのになぁ…ちょうど読んでいなかったのでしょうか。

ここは出身高校への最寄り駅でして、3年間以上にわたって利用した思い出多い駅です。家庭教師のアルバイトをやっていたときも、ここから急行バスに乗って行っていました。下大利駅の定期券発売カウンターが開設していない時期or混雑しやすい、とかなんとかの理由で、ここの定期券発売カウンターで定期券を買っていた記憶があります。
ここのバスセンターの1Fで、高校の先生が唐揚げを買い食いしていたのを何度も目撃しました。バスセンター真向かいのタバコ屋さんに、いつもすやすや眠るワンちゃんがいて、女子高生の人気者でした。
16年ほど前の話ですが、鮮明に思い出されます。不思議です。
Posted by Kassy at 2010年03月28日 22:58
いやいや、過去記事へのコメントは、とても嬉しいですよ。
昔のものまで読んでいただけてるんだ、って。
ただ記事数が増えてきまして、行程表も毎週書いているために、
検索してもバス停記事以外の記載に反応してしまって、
なかなか期待通りの記事にたどり着けないことが起こってます。

たぶんブログ内検索で、「朝倉街道」と引いていただくと、
杷木界隈で朝倉街道行きにのった行程表が全部拾われるため、
終着バス停の記事ほど、見ていただくのが困難になっております。
そんな中、よく見つけていただきました、と感謝です。

私にとって朝倉街道は、祖母と高塚に行くときに使った思い出の場所です。
こないだ西新商店街バス停をとりあげたのですが、
20年前の高校時代の記憶も色あせることなく湧き出して、
どこにこんな過去が収納されていたのだろうと思いました。
Posted by ちょんびん at 2010年03月28日 23:26
こんばんは。
先日「平日休み」の記事にコメントしましたが、私も路線バスの旅は祖母との
思い出です。福岡に住んでいたときに、法事や親戚の家に行くときは祖母と
「福岡~佐賀」の特急バス等に乗っていたので。

小学生ぐらいの頃ですから当然、長崎道はなく、3号線や34号線を使って
「福岡~佐賀」を行き来していた筈ですが、この区間を特急バスが走って
いた明確な記憶はありません。

ただ、直接「二日市~永岡~筑紫」区間を通った記憶は、ハッキリしない
のですが、桜台団地前からJR筑豊線のガード下を過ぎて、やや薄暗くなっ
た先が若干カーブしていた。という微かな記憶があります。

その思い出が、「JR二日市~永岡~筑紫駅前」を走っていた24番の廃止の
ニュースを聞いて何となく蘇ってきて、昔は福岡と各地を結ぶ主要路線だっ
た筈なのに、西鉄電車やJRとの並行路線は段々なくなって行くんだと思うと
多少、切ない感じがしましたね~。

この区間の24番の運行と、「永岡」・「桜台団地前」のバス停も、あと3日になります。
Posted by SoH at 2010年03月29日 00:42
私は小学校入学前から、バスに乗ること、
終着点や珍しい名前のバス停に行くことを目的として、
祖母とふたりでバスに乗っておりました。
そんな祖母も来年90才。
まぁ自分の歳を考えれば、まだ元気に生きているだけで、
ありがたいことなのであります。

国道3号線の二日市~基山は、旧道も整備が進んでいて、
私が大学生頃までの面影を探すのが難しいところです。
でも私がその辺まで行き出した頃には、
今ほどではないにせよ、すでにバス不毛地帯でした。
高速道路がなかった頃は、どのくらい優等バスが走っていたんですかね。
Posted by ちょんびんちょんびん at 2010年03月29日 12:23
> 終着点や珍しい名前のバス停に行くことを目的として、
> 祖母とふたりでバスに乗っておりました。
>
バス乗りが目的で、孫を連れて行くお祖母さんって羨ましいですね。
ちょんびんさんのバス好きはお祖母さん譲りのようですね。

> 高速道路がなかった頃は、どのくらい優等バスが走っていたんですかね。
>
私も、どこを特急バスが走っていたのかは殆ど記憶がなくて、ただ天神バス
センターから佐賀までバスに乗っていた。小学生当時は長崎道はなかった。

蒸し暑いバスに乗って、延々と下道を行ってたような気がする。
ので、「二日市~永岡~筑紫」区間を通ってたんだと勝手に想像してますが。

ただ、旧.3号線の筑紫辺りから新.3号線との合流地点まで、特に原田駅前は
全く変ってしまいましたが、筑紫辺り(旧.200号線との分岐点)から二日市まで
の旧道は、何となく見覚えがあるのです。
Posted by SoH at 2010年03月29日 23:42
ははは、うちの祖母は、バスには興味ないですよ。
私は小学校入る前からのバス好き、特に路線図好きという阿呆なのですが、
さすがに幼稚園児ひとりでバスに乗ることはさせてくれず、
祖母がついてきてくれてただけです。
その代わり、祖母が用事があってどっか行きたい時も、
私がナビゲーションするという補完関係ができておりました。
Posted by ちょんびんちょんびん at 2010年03月29日 23:56
「朝倉街道」には、過去に長い間住み、現在も縁があり、数日前にも行ってきたばかりです。グーグル検索をしていて、見慣れたブログに行き当たり、懐かしんでいました。2009年頃には、定期的に読んでいなかったのかもしれません。

福岡(天神・博多駅)から南へ向かう特急バスは、すべて3号線(現在の県道)を通り、「二日市」に止まっていました。もちろん特急バス以外にも急行を含む多くのバスが走っていましたから、それはそれは壮観でした。
「二日市」を出るとすぐに、「日田」、「別府」、「杖立」方面行きバスが東へ別れ、「朝倉街道」に止まります。特急以外の急行や普通のバスもほぼすべて「朝倉街道」方面に曲がります。したがって、これより南の3号線は、他の特急とわずかの普通のみです。
他の特急は3号線を南下し、「佐賀」、「佐世保」、「長崎」行きが34号線に入ります。「佐賀」行きの次の停留所は「鳥栖営業所」(後の西鉄鳥栖)だったと思いますが、「田代」にも止まっていたかもしれません。
「長崎」行きと「佐世保」行きはもっと停留所は少なかったと思います。
「熊本」行き(「山鹿」行きも)は3号線をさらに南下し、「二日市」の次の停留所は、「西鉄久留米」です。

縦貫道(昔はこう呼んでいました)が開通すると、徐々に経路が変わっていきます。
まず、「鳥栖~植木」間が開通しましたから、「熊本」行きの鳥栖より南だけが高速経由となり、この時西鉄初の「高速特急バス」という種別のバスが走り始めました。その後、「鳥栖~古賀」間が開通し、「太宰府~植木」間の高速経由となります。
西行きの特急バスの高速載せ替えは、何故か足並みがそろっていませんでした。
「佐賀」行きは高速開通からほどなく、「太宰府~鳥栖」間が高速経由となりました。これで、3号線「二日市」とお別れです。その後、「鳥栖~佐賀大和」間も開通し、佐賀大和までの高速経由となりました。
「長崎」行きは、高速道路開通以前から、「筑紫通り」、「県道5号線(現在の31号線)」、「筑紫野鳥栖久留米有料道路」を経由するようになっており、すでに「二日市」経由ではなくなっていました。でも、縦貫道が開通した後も、何故かしばらくはこの「筑紫通り5号線ルート」を通っていました。
「佐世保」行きは、高速道路開通後も、3号線34号線経由ルートを頑固に走っていました。3号線の「二日市」バス停に停車した最後の長距離特急バスかもしれません。
その頃にはすでに、「日田」行きなど、東行きの特急も、「太宰府~鳥栖」間のみ高速を走り、「高速バス」になっていました。あっ、その頃にも、「杖立」行きだけは、何故か、3号線386号線ルートで走っていました。つまり、「二日市」にも「朝倉街道」にも止まっていました。

「佐賀」行きについてのエピソード2つ。
「佐賀大和」まで高速経由となった時、「鳥栖営業所」に止まらなくなったためか、一時期、「鳥栖~福岡空港」という高速バス路線ができました。
都市高速が貝塚で分岐して流通センター方面まで延びた時、「佐賀行き高速バス」が、それまでの「太宰府IC」経由から「福岡IC」経由に経路が変更となり、福岡ICから流通センター付近を通って都市高速に乗り、天神に向かっていました。当時渋滞の激しかった南バイパス(現在の3号線)を避け、少しでも早く天神に着くための窮余の策だったのではないかと思います。1987年頃です。

長文で、失礼しました。
Posted by Tokyo Chikushi at 2017年10月17日 20:55
二日市が「二日市」であって駅との距離感に全く言及していないのは、
あくまでバスの拠点がここであるという矜持なのかと思います。

昔から3号線を素直に南下するほうが少ないんですよね。
西鉄も国鉄も走っている区間と競合するより、
朝倉や杷木の方向が重視されていたということなのでしょうか。

「縦貫道」呼んでましたねえ。
高速網が発達すると二点間輸送は便利になりますが、
その途中行程がどんどん省かれていって衰退するように見えます。
でも元々、宿場町なんてのもそういうものなのかもしれません。
そこでなければいけない理由はなく、ただ途中経路だったという、
位置的条件に依存しすぎると、淘汰されるのもまた必然と。

都市高速が太宰府と福岡で九州道に接続してしまい、
経路選択としては余地がなくなってしまいましたよね。
流通センター東に高速バスが走っていたあたりは、
北九に行くにも南に行くにも、
「最短距離の下道」と「遠回りでも都市高速区間あり」の
両方を試行錯誤していた時代がありましたが。

福岡長崎、全部高速非経由で国道なんて、
当時は当たり前でしたが、いま考えると長いですよねぇ。
天神から目達原まで祖父と乗ったときは、
ものすごく遠くまで来た気分でした。
今の感覚だと人吉くらいまでは行ってますかね笑。
Posted by ちょんびんちょんびん at 2017年10月28日 15:45