地元の西鉄バスを中心に、いろいろな地域のバス路線風景を記録しています。西鉄以外の地域にもすぐ行きたくなるので、どこかで「九州路線バスの旅」とでも改名しようかと検討中ですが、西鉄バス中心に回帰しようという気持ちもあります。雑誌「秘境路線バスをゆく」に寄稿させていただきました。

2010年10月17日

古野町


西鉄バスが走らなくなって1年になります。鳥栖市の「古野町」。



乗合バス、ってのは2点間輸送の手段なわけですが、
大きな需要が離れた2点にある場合、
その途中の経路にどこが選択されるのかは、けっこう運に左右されているように見えます。

鳥栖の中心部と河内ダムを結ぶ必要性は、
昨年の改正前後でそれほど変化していないはずなのですが、
その中で途中経路を集約する形になり、こうやってバスが通らなくなる場所ができます。
もちろん、空白地はミニバスなどで補完されることが多いのですが、
そこにバスが必要かどうかなんて、本当は誰もわからないのでは、と思います。



この道は、長崎街道だった道のようで、



立派な神社がバス停のそばにありました。
境内には山笠の格納庫もあります。


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Posted by ちょんびん at 17:17│Comments(4)佐賀
この記事へのコメント
古野町のバス停は私が生まれる前…40数年前には近くにある高校の生徒が乗降していたそうです。
当時は鳥栖駅と基山駅方面を結ぶバスが走ったいたらしく、基山町からの女子生徒が多く利用していたそうです。

私の叔母がそこの高校OGで、そう証言していました。
古野町バス停を34号線へ行くと土井局前のバス停に出ます。
今は門戸口から市役所を経由している41番ですが、30年程前までは蔵上から市役所方面へ曲がらずに直進して土井局前を経由して市役所前〜鳥栖営業所へ進行していました。

変更になった理由は、団地ができたことと、その団地から市役所までの道が広くなったからなのです。それまでは市役所から門戸口、その先の道がかなり狭かったんですよ。
Posted by 暇工作 at 2010年10月17日 23:21
古野町、高校が近いですが、
路線廃止ということは、あまりバスで通学してないのでしょうか。
鳥栖駅前や土井局前まで歩いても、
さほどの距離ではないという判断がなされているんですかね。

国鉄時代は、近距離の旅客輸送があまり想定されていなかったので、
基山~鳥栖くらいの距離は、バスの独壇場だったでしょうね。
いまは鉄道にバスが淘汰されてしまったような区間、けっこうあります。
Posted by ちょんびん at 2010年10月18日 19:41
>ちょんびんさん

今は自転車通学がほとんどで、一部の自宅が遠い生徒が鉄道通学ですよ。
バスは私の高校時代にはすでにほとんどいませんでした。

確かに鉄道に淘汰されたバス路線は多いでしょうね。
41番の村田回りや43番も鉄道とマイカーに淘汰された路線と言ってもいいかもしれません。
Posted by 暇工作 at 2010年10月18日 20:33
>バスは私の高校時代にはすでにほとんどいませんでした。
あら、そんなもんですか。

自分の高校時代どうだったか、
思い出そうとしますが、よく憶えてないですw
出席日数ぎりぎりで卒業しましたもんで。
学校サボってバスに乗りに行ったりしてましたし。
そのことは印象に残ってるのに。
Posted by ちょんびん at 2010年10月18日 21:28
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