地元の西鉄バスを中心に、いろいろな地域のバス路線風景を記録しています。西鉄以外の地域にもすぐ行きたくなるので、どこかで「九州路線バスの旅」とでも改名しようかと検討中ですが、西鉄バス中心に回帰しようという気持ちもあります。雑誌「秘境路線バスをゆく」に寄稿させていただきました。

2011年04月25日

訪問0.5回 その014


「2」羽根戸の最終便は、先に「43」堅粕経由金隈の最終に乗り、
東比恵から次郎丸まで地下鉄乗り継ぎで繋ぎました。
それでも時間があるので、ここ「河原」まで歩いたりして。

もとの河原バス停は、現在の次郎丸団地。
それが解消されたのに、次郎丸との間にバス停が新設されたとき、
あらためて河原と名づけられたのは、
地元の方に思い入れの強い地名だからでしょうか。
西側の旧道には古い集落があり、白壁の蔵が残る家が並んでいます。

バス停を新設するときって、地元には相談があるんですかね。
設置場所近くの人の要望によって、
運用が一時延期になったり、外マイク禁止になったり、
乗るときのステップアラームが煩いからと、
前扉からの乗車になってる場所もあるくらいですが、
バス停名称も、自治会にお伺いがたったりするんでしょうか。

羽根戸道を田村七丁目に変えるコンセプトからすると、
ここも次郎丸○丁目、であっても何の不思議もないのですが。

原、原往還、有田、(西高下)、立屋敷、昭和新町、次郎丸、
(河原)、(田村)、三軒屋、(羽根戸道)、四箇田団地入口、四箇田団地、
そんなに大きく変わっていない印象の「2」も、
地元にいて常に変化と触れているからそう感じるだけで、
たまにしか接することがなければ、昔と大きく違うなぁ、と思うのかも。



「四箇田団地入口」から農協前へのバスも、もうありません。
羽根戸を通るバスがなくなったわけではないので、そこはよしとしましょう。



前述の通り、以前は田村バス停しかなかったところに、
一丁目と三丁目ができまして、さてどっちが元の田村バス停だったか、
と不安にさせる「田村三丁目」。
私にとっては、松浦鉄道の東田平と中田平の関係に似ていると思います。
鉄道駅は検索すればWikipediaあたりが回答らしきものを出してくれますが、
西鉄のバス停の場合、自分のブログが一番にヒットすることもあり。

いちおう、蛇足ながら書いておきますと、
松浦鉄道の東田平は、国鉄時代は田平駅でして、
でも田平町の中心駅は、平戸島への玄関口である、平戸口駅でした。
それが、たびら平戸口駅と改称されると共に、田平は東田平になり、
中田平という駅が新設されたもので、もとの田平がどっちだったか、
考える都度、不安にさせられるのです。



「七隈七丁目」。
一の谷一丁目のように、同じ数字が重なるとなんとなく嬉しくw

中村大学の脇からやってくるのがスタンダードでしたが、
郊外からの「3」が干隈経由で福大病院まで来るようになって驚き、
それがまた短命に終わって苦笑し、なんてことをしていると、
今度は「12」がこっちに寄ってきたりしています。



ということで、深夜バスしか停まらないのに、
福大正門前」と改称されてたここも、俄にクローズアップ。
片江営業所まで340円かかるという、稀有な存在だったのが、
たくさんの利用者で賑わう場所に、とは画期的な変化です。

福大病院へ歩いて移動する人の、横断歩道との距離と、
地下鉄駅、そして福大正門との位置関係をなるべく近接させる意図か、
わずか50メートルほどですが、4月から北側に移動しています。



ということで元長野町の「西片江一丁目」も、
隣は福大正門前(旧福大病院東口)、福大東口(旧福大前)、
西片江二丁目(旧倉瀬戸)となりまして、
最近の付近の激しい改変を象徴しているような場所になっているはずです。
まだ新しくなってから確認していません。

同じカテゴリー(妄想・虚言)の記事画像
大坪の文脈
謎のまま180613
コザル小学校卒業
営業所めぐりバスあるきの惨憺
バス路線カフェのご案内【10名限定!第6回バス路線探検家の会】
第12回福博バスあるき「筑肥線跡」のご案内
同じカテゴリー(妄想・虚言)の記事
 空ちょん西鉄バス福岡鬼ごっこ (2018-12-09 23:58)
 空ちょん西鉄鬼ごっこ開催概要 (2018-12-06 23:13)
 バスオフ「チーム1028」開催 (2018-10-28 23:59)
 にしてつ電車まつり2018バスクイズ大会蛇足 (2018-10-15 21:29)
 大坪の文脈 (2018-07-06 07:06)
 乗車集計 (2018-07-02 17:17)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。