地元の西鉄バスを中心に、いろいろな地域のバス路線風景を記録していましたが、当方都合により過去記事は非公開になりました。西鉄以外の地域にもすぐ行きたくなるので、どこかで「九州路線バスの旅」とでも改名しようかと揺らいだこともありましたが、たぶんずっと「西鉄」の名前を消さずにいると思います。最終的に回帰するのは地元ってことでしょうか。でも子育てが終わったらどこかに移住したい気持ちもありますね。

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2024年01月26日

福岡空港、小倉から国内線廃止


バス好きを標榜しておりますが、飛行機に乗る場合は空港まで鉄道利用がほどんどです。



定時性に関しての確実度合が理由ですが、あと公式な活動の場合、
鉄道が遅れて何らかの待ち合わせに間に合わなかった、は許容されそうでも、
バスが渋滞に巻き込まれての遅刻は「なんでバスなんか使ったの」という話になるあたり、
社会的な信頼度にも大きな差があるように感じます。



九州道の小倉福岡間は通行量も多く、事故もよく起こっている印象があるので、
飛行機に乗り損ねる危険性とバスを使いたいという嗜好とが並び立たないのなら、やまり鉄道でしょうか。































まあ、ということで福岡空港から小倉までの高速バスが廃止されて、もう4年となります。















下手に天神と博多と空港が近接しているがゆえに、すべてを経由すべきなのか、
どこかひとつだけを代表して停車し、あとは地下鉄等に乗り換えを推奨すべきなのか、
その選択は難しいと感じます。

とはいえ都市計画として、すべての機能を一つの場所に集約してしまうのも、
人が集まる場所と疎らになる場所が極端化して望ましくはない状態でしょうし。



方向幕だけでは、どこから来たのか難しいですが、佐賀営業所の所属なのでそういうことで。



小倉ゆきの表示も、引野口三萩野経由ならばひきの号と共通で、いまひとつありがたみに欠けます。



路線が消えると、付帯したいろいろなものも消えるのです。


  


Posted by ちょんびん at 07:07

2024年01月25日

久井原


バス路線の廃止を惜しむという懐古趣味的な活動を、
いつから始めていれば後悔せずに済んだのか、というのは難しい問題ですが、
山鹿~玉名の各系統が走っていた頃の記録としては、ぎりぎり間に合ったという感じでしょうか。



久井原



もともとここは内田で分岐して和仁のほうへ北上する路線の途中でしたが、
系統廃止とともに下津原経由と統合されて、辛うじて数往復が存続した区間でした。



それもまた過去のものに



路線の廃止は令和3年(2021年)の3月、その前年には、西小学校も閉校になりました。
地方というのがどうなっていくのか、それを考えるのは若い人に託します。


  


Posted by ちょんびん at 07:07産交バス

2024年01月24日

早坂長崎短期大学神崎鼻口太田尾


車中泊の眠い目をこすりながらの早朝早坂。



令和3年のダイヤ改正前に



時刻表を撮って



長崎女子短期大学前から、



神崎鼻口ゆきのバスを待ちます。



廃止前の最終便が運行を終えて、


見栄えの良い角度を模索する余韻も与えられないままに回送されていったため、


ちゃんと撮れたのは廃止にならない長崎県営バスのほうでした。



長崎バスと県営バスの共同運行バス停はいくつか仕様がありますが、
たぶんこれがいちばんポピュラーな形です。



行先はタテに読みます。中立東浜ではありません。



残るといっても、これくらいの本数ですが



長崎バス運行はおしまいです。



女神大橋



分岐からの独自区間である



太田尾も一緒に



長崎バスは消えます。この時点で神崎鼻口からの出発便は存在しなかったので、
時刻表は太田尾にしかありませんでした。



到着便の記録として、県営バスの時刻表もこちらに。


  


Posted by ちょんびん at 20:00長崎バス

2024年01月23日

木鉢二丁目


今年の4月改正が、長崎バス史上最大規模と謳われていることに、
釈然としない感情を抱いている沖浜ですこんばんは。



この写真の右上に写る煙突が、旧焼却場の跡です。
今では神の島という名前にのみ、島であったことの名残がみられる程度ですが、
昔は立神からの海沿いの道などなく、陸路でつながっているのはこの経路だけだったとか。



そういう伝統を主張するでもなく、静かにバス停は立っていました。



長崎バス、木鉢二丁目。



この令和3年4月の改正から、免許維持路線と呼ばれる、
「現況では多数の利用者を想定しているわけではないが、今後需要が伸びる可能性がゼロではない」
といった保険のような存続路線を諦める流れができました。
今回もその傾向に沿った改変であるように見えます。



そういう利用者の少ない路線が好きというのは、なかなか因果な趣味のようでもありますが、
消えてゆくのを惜しみつつ追いかける、という行為自体にもカタルシスは存するので、
つつがなく全ての路線が繫栄していたら、それはそれでつまらないと言い出すに違いないです。


  


Posted by ちょんびん at 23:58長崎バス

2024年01月22日

川口二丁


どこに行くのかよく分からない表示。























どれも懐かしく感じられる車両ばかりですねえ。2019年3月撮影でした。

  


Posted by ちょんびん at 07:07産交バス

2024年01月21日

曽根北町


『産交バスの終点へ』や『福岡バス停図録』でお世話になっているプリントパック。
とはいえ荷物は京都府の北部から送られてきますので、ここで印刷しているのは別の品種なのでしょうが。



七尾製菓にもそこそこお世話になっています。



そういうところへの通勤帰宅需要を取り込みたかった曽根北町。



工場勤務を終えた人たちが、乗り込んでくれるといいのにという時刻設定でした。すでに過去です。



労災病院から行橋営業所への路線が、一部だけこちらに寄り道をするような系統。



周辺住民というのはほとんど見込めなかったと思います。もとの空港跡地ですので。

  


Posted by ちょんびん at 17:17北九州

2024年01月21日

上方原


終点は上方原、しかし車両の行先表示は方原



楠浦と楠甫も初心者泣かせ











平成31年3月廃止だったようです。
常に何かに追いかけられ続け、廃止の時期はおろか、
どこが存続でどこが廃止なのかもまま分からなくなります。
上方原の場合は、公式の路線図でも廃止後に長く記載が残ったりして猶更



















ふだんのラッピング広告は気にならないのですが、
廃止前の記録として派手な装飾面を撮ることになると、これじゃない感が増しますね

  


Posted by ちょんびん at 07:07産交バス