2018年03月16日
コザル小学校卒業
■コザルさん初登場
http://nishitetsu.yoka-yoka.jp/e123900.html
■コザルさん最大の可愛らしさ(これがMAXかよというツッコミ禁止)
http://nishitetsu.yoka-yoka.jp/e123905.html
ブログ初出当時2才半だった彼が、12才になれたことに感謝いたします。
3000グラムあまりで普通に生まれた彼でしたが、
生後2週間で体重が出生時より500グラム以上減り、
そのまま久留米の某病院に緊急入院となりました。
症状として母乳が吸収できず吐き続けるにもかかわらず、
検査しても内臓器官にもアレルギー反応にも原因が見当たらず、
ただ点滴で栄養を補給し生命を維持する時間が長く続きました。
保育器の中に入れられていて、私が手を差し伸べると、
小さな指で一所懸命に握ろうとするのですが、その力は弱く、
ああ、この子は長く生きられないのだろうなと覚悟を重ねる毎日。
結局、何の原因も病気も特定されないながらも、
消化器系に重度の疾患がある乳児向けの栄養剤なら摂取「できそう」ということで、
文字通り消化不良なままの退院となったのです。
と こ ろ が
その栄養剤との相性はよかったようで、「すくすく」というほど順調ではないにせよ、
嘔吐を起こすこともなく、発育不良を疑われることもなく、
普通に歩き、普通に遊び、普通に喋るようになっていきました。
そして2才くらいからは、アレルギーリスクの高い数品目は避けるながらも、
米や肉野菜など、そこそこ食べられるものも増えてきて、
茫漠とした乳児期を過ごした3才年上の兄と比べても、ずっと活動的になりました。
ブログを始めたのはそんな時期です。
彼が成長して行く幸せを感じつつも、いつかこの子は、
「ある朝、気が付いてみたら息が止まっているかもしれない」と心配しつつ、
どこかで客観的に距離を起きながら接しているところがあります。
何もリスクを想定しないままに突然訪れる悲しみには、
きっと耐えられないだろうと思うからです。
不毛かもしれませんが、自分の心に多少の保険をかけているのです。
そして、もしかして他の人より短い期間しか生きられないとしても、
ここに彼が居た証を、いろいろなところに記録しておきたいという気持ちがあり「ました」。
すっかり過去の話です。
実際のブログがいまどんな状態になっているかは、
お読みくださっている皆さまがご存じの通りです。
まさか「当初は息子の成長記録に代えて」というコンセプトを含む予定だったと申しても、
誰も信じてはくださいますまい。まあ実際半分くらいは嘘かもしれませんし。
出生当初の栄養不足が関係しているのか、
彼は今でも小柄ではあるんですけどね、現時点でまだ140センチに満たないです。
しかし彼への扱いは年々ぞんざいとなっております。
我が家で当時の彼は「生きるのをサボってた時期」と表現される始末。
そんな彼のひと区切りにおいて、これまでの12年を共有してくださっている方々に、
あらためまして感謝申し上げます。長文をお読みくださってありがとうございます。
父はそんな日も仕事をし、バスに乗り、ツイッターが動かないと呻いておりましたが、
そこそこ幸せに暮らしていけています。
こういう体験の暴露が、誰か何か苦しんでいる人の一助になれば望外の喜びです。
人生なんて、きっちり過ごさなくていいんですよ。生きてるだけで丸もうけ。
これからもいろいろと、つらい時期というのはやってくるでしょうし、
それが乗り越えられなかったときに、私にも彼にも死がやってくるのでしょうが、
まあそれもまた運命だったってこと。祝福と共に迎える現実です。
ゆるやかに、ゆるやかに。自戒を込めて。
金武2728 原→「201博多駅」→南新地
壱岐5945 南新地→「507三陽高校」→天神ソラリアステージ前
ツイッター不調にて100円循環惜別の皆さんと合流できず
那珂川1257 天神大丸前→「100円循環内回り」→博多駅前
よねさんと
愛宕浜8004 博多BT→「100円循環内回り最終」→博多駅前
SCENE Bさんとえぬななさんとノアさんと、博多座からかのさんも
壱岐5967 博多BT→「514生松台経由野方」→生松台に寄らず野方
ご帰宅に途中まで同行
壱岐6238 野方→「504天神方面」→天神北
野方で意味もなく着発折り返し
壱岐5943 天神北→「深夜203野方最終」→原
深夜バスを記録しつつたいがーさんと、車内で前田さんにも
http://nishitetsu.yoka-yoka.jp/e123900.html
■コザルさん最大の可愛らしさ(これがMAXかよというツッコミ禁止)
http://nishitetsu.yoka-yoka.jp/e123905.html
ブログ初出当時2才半だった彼が、12才になれたことに感謝いたします。
3000グラムあまりで普通に生まれた彼でしたが、
生後2週間で体重が出生時より500グラム以上減り、
そのまま久留米の某病院に緊急入院となりました。
症状として母乳が吸収できず吐き続けるにもかかわらず、
検査しても内臓器官にもアレルギー反応にも原因が見当たらず、
ただ点滴で栄養を補給し生命を維持する時間が長く続きました。
保育器の中に入れられていて、私が手を差し伸べると、
小さな指で一所懸命に握ろうとするのですが、その力は弱く、
ああ、この子は長く生きられないのだろうなと覚悟を重ねる毎日。
結局、何の原因も病気も特定されないながらも、
消化器系に重度の疾患がある乳児向けの栄養剤なら摂取「できそう」ということで、
文字通り消化不良なままの退院となったのです。
と こ ろ が
その栄養剤との相性はよかったようで、「すくすく」というほど順調ではないにせよ、
嘔吐を起こすこともなく、発育不良を疑われることもなく、
普通に歩き、普通に遊び、普通に喋るようになっていきました。
そして2才くらいからは、アレルギーリスクの高い数品目は避けるながらも、
米や肉野菜など、そこそこ食べられるものも増えてきて、
茫漠とした乳児期を過ごした3才年上の兄と比べても、ずっと活動的になりました。
ブログを始めたのはそんな時期です。
彼が成長して行く幸せを感じつつも、いつかこの子は、
「ある朝、気が付いてみたら息が止まっているかもしれない」と心配しつつ、
どこかで客観的に距離を起きながら接しているところがあります。
何もリスクを想定しないままに突然訪れる悲しみには、
きっと耐えられないだろうと思うからです。
不毛かもしれませんが、自分の心に多少の保険をかけているのです。
そして、もしかして他の人より短い期間しか生きられないとしても、
ここに彼が居た証を、いろいろなところに記録しておきたいという気持ちがあり「ました」。
すっかり過去の話です。
実際のブログがいまどんな状態になっているかは、
お読みくださっている皆さまがご存じの通りです。
まさか「当初は息子の成長記録に代えて」というコンセプトを含む予定だったと申しても、
誰も信じてはくださいますまい。まあ実際半分くらいは嘘かもしれませんし。
出生当初の栄養不足が関係しているのか、
彼は今でも小柄ではあるんですけどね、現時点でまだ140センチに満たないです。
しかし彼への扱いは年々ぞんざいとなっております。
我が家で当時の彼は「生きるのをサボってた時期」と表現される始末。
そんな彼のひと区切りにおいて、これまでの12年を共有してくださっている方々に、
あらためまして感謝申し上げます。長文をお読みくださってありがとうございます。
父はそんな日も仕事をし、バスに乗り、ツイッターが動かないと呻いておりましたが、
そこそこ幸せに暮らしていけています。
こういう体験の暴露が、誰か何か苦しんでいる人の一助になれば望外の喜びです。
人生なんて、きっちり過ごさなくていいんですよ。生きてるだけで丸もうけ。
これからもいろいろと、つらい時期というのはやってくるでしょうし、
それが乗り越えられなかったときに、私にも彼にも死がやってくるのでしょうが、
まあそれもまた運命だったってこと。祝福と共に迎える現実です。
ゆるやかに、ゆるやかに。自戒を込めて。
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絵葉書4枚セット販売してます
『福岡バス停図録』表紙データ販売
『福岡バス停図録』販売開始
福岡バス停図録刊行記念トークイベントやります
西鉄バス福岡市内フリー乗車券6時間チャレンジ
バスマニアと一緒にオープントップバスに乗りませんか
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Posted by ちょんびん at 23:58
│妄想・虚言