地元の西鉄バスを中心に、いろいろな地域のバス路線風景を記録していましたが、当方都合により過去記事は非公開になりました。西鉄以外の地域にもすぐ行きたくなるので、どこかで「九州路線バスの旅」とでも改名しようかと揺らいだこともありましたが、たぶんずっと「西鉄」の名前を消さずにいると思います。最終的に回帰するのは地元ってことでしょうか。でも子育てが終わったらどこかに移住したい気持ちもありますね。

2010年04月09日

勘六橋

勘六橋
直方市の、遠賀川に架かる「勘六橋」です。


勘六橋
橋から川沿いに南に向かう「20」は、3/31をもって廃止となりました。
現在は、左に曲がって端を渡る「特急」「7」と右に曲がる「10」が残っています。
それから、JRバスの宮田方面も右に曲がります。


勘六橋勘六橋
宮田方向は、道路の拡張でしょうか、工事中です。


勘六橋勘六橋勘六橋
勘六橋のバス停は、橋から北に少し進んだところ。


勘六橋勘六橋勘六橋
なんか、いろいろと貼られて修正されているのが痛々しいですが、
「次は」のバス停に4つも掲載されているように、曲がりなりにも交通の要衝です。
「20」の廃止に伴い、直方裁判所にはもうバスは行きませんが。


勘六橋勘六橋
JR九州のバス停も、隣に立っています。


勘六橋勘六橋
直方市街へのバス停は、さらにすこし北側にあります。
その先の交差点で、河畔の道と別れて左斜めに進み、
直方の市役所から直方駅前へと向かいます。


勘六橋勘六橋
バス停は川べりに立っていて、
すぐ近くの歩道橋に上ると、バスの白と河川敷の緑の対比が鮮やかでした。
廃止直前の「20飯塚」がバス停を通り過ぎていくのを撮影しましたが、
このバスには、umi37さん、TGWさん、あげ周防さんが乗られていたようです。


勘六橋
飯塚行きのバスを見送って、


勘六橋
振り返るとJRバスと飯塚特急が続けてやってきました。


勘六橋
そして勘六橋の交差点で、橋を渡ってきた「7直方」と出会い、
3車線すべてにバスが並ぶ光景が見られました。
あまり来ることのない場所なので、珍しいのかどうかはわかりません。
ダイヤどおりに走ると、比較的よく見られるのかも。

日祝日に、博多駅から朝イチの田川急行に乗ると、
扇橋の交差点で必ず、博多行き「かいおう」に出会うんですよね。
最初は「おおっ!」と思ったのですが、
ここ1年で5回以上見たので、有難みは完全になくなりました(爆)
バス・列車とも定時に走っている証拠として素晴らしいと思います。


勘六橋
勘六橋を走る特急バスも、廃止検討になっているので、
また乗ってすこしでも存続に貢献したいものです。



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Posted by ちょんびん at 16:49 │筑豊
この記事へのコメント
ちょんびんさん、こんばんわ。

>曲がりなりにも交通の要衝です。

この表現こそ、このブログを読む者としての真骨頂です。

そこの部分だけ、何回も読み返したくなるくらい、共感する表現です。

本当に“曲がりなりにも”、ですよね、ここ♪

間違いなく堂々とした交通の要衝じゃありませんので。

いつも空論漫語なコメントばかりですみません♪
Posted by ハンズマン at 2010年04月09日 23:57
ハンズマンさん、こんばんは。

ここ、かなり曲がってますよ。
直方から放射線状に目的地があって、
地形的な関係上ここまでは便宜的に路線が共通なだけで、
ここを通過する絶対的な必要性が存在しないのに、
偶然いくつかの方向にバスが行き来しているということで。

ちなみに、ここと同じ立地条件で、
規模だけ大きくなったものが、基山PAになりますw
Posted by ちょんびんちょんびん at 2010年04月10日 00:08
基山の場合、大分~基山~佐世保みたいな乗り継ぎを必死にアピールして、“曲がっていない”交通の要衝にクローズアップさせるべく、頑張ってますけど、依然としてただの分岐点というイメージを払拭できないでいるようですね♪


勘六橋の場合、川島甘木~勘六橋~勝負尻口みたいな乗り継ぎ需要などほとんど皆無でしょうし、交通の要衝としてクローズアップさせることすら出来なさそうな感じです。
Posted by ハンズマン at 2010年04月10日 10:59
高速バスの場合、席がいっぱいだと乗れないことがあり、
じゃあ予約しても繁忙期には渋滞で時間通りに到着せず、
乗り継げないことがあり、そのわりに基山は代替交通機関まで遠く、
と二の足を踏む要素がたくさんあるように感じます、私。

基山PAにしても、勘六橋にしても、
道路の繋がりとしては間違いなく重要地点であり、賑わいがあるのに、
そういう街としての発展具合と、バスの連接拠点としての発展度が、
必ずしも一致しないのが面白くもあり、難しくもあります。
Posted by ちょんびん at 2010年04月10日 14:12
こんばんわ。

直方ネタに弱い、私です 笑
幼少の頃は、勘六橋からはこう言う行先があった気がしま
高速 頴田経由飯塚
急行、20番 小竹、幸袋経由飯(新飯塚駅)塚
急行 小竹、飯塚、八木山経由福(天神)岡
21番 新多
51番 武谷経由飯塚
55番 金田駅、後藤寺
50番?金川農協、伊田駅経由後藤寺

急行 黒崎、到津遊園経由小倉(砂津)
急行 直方

JRバスは養護学校とか、内が磯は頻繁に走ってて、かなり早い時期にデジタル運賃表が入ってましたね。
西鉄とは違う丸文字のギザギザフォントの整理券二番が欲しくて、溝堀二丁目から三丁目まで乗ったり、とか。笑

地方都市の路線バスの衰退はあまりに早すぎ、あまりにひどくきましたね。
筑豊三都の都市間路線バスすら維持できないのは信じられません。

いろいろ、写真や路線図取ってたらよかったな、と回顧しながら後悔しています。
Posted by 八幡2614 at 2014年01月22日 18:39
お返事遅くなりました。21番の新多が懐かしいです。

筑豊地区の都市間輸送バスに関しては、
JRとへいちくの頻繁運行が大きな転換点になりましたね。
後藤寺の「22」「23」循環なんかも、
糸田線が1日数本だった頃は、輝いて見えました(笑)。

>写真や路線図取ってたらよかったな
私も同じように思います。
でもバス乗りも撮りも、昔はもっと金のかかる趣味だったですよね。

各地で乗り放題きっぷの類いが発売され、
デジカメとパソコンが普及して、
やっと気軽に乗りまわしができようになりましたので、
路線の衰退はともかく、よい時代になったのかもしれません。
Posted by ちょんびんちょんびん at 2014年01月26日 09:12