2010年08月27日
出山
記念すべき、日田バス撮影会最初の撮影地、「出山」。
この日、旅程を進めながら思っていたのは、
現在と過去のバス停というものの存在意義の差です。
どちらかというと、日田バスの一連のバス停を見ていると、
鉄道の駅に近い位置づけでバス停が設置されているように感じました。
福岡でも昔はそうだったんでしょうね。
乗合馬車くらいしか速達の交通手段がなかったときに、バスが走り始めれば、
街や観光地への時間距離感覚は、画期的に変わります。
ならばそのバスに乗車する「バス停」も、今よりずっと大きな価値のあるものだったのかと。
当時の定時性がどのくらいのものなのかはわかりませんが、
さほど本数も多くないでしょうし、バスに乗ること自体がイベントなので、
数分前に駆け込むのではなく、余裕を持って待合所に来るでしょうし、
そこに人が集まれば、商店も栄えますし、バス停が大事にされていたのでしょう。
道路にコンクリの重しをつけて放置されているのではなく、
民家の軒先に鉄板が設置されているバス停は、
そういう価値観の名残ではないかと、ひとり妄想しています。
でも勝手なもので、数十箇所のバス停を1日かけて回っていると、
最後のほうには民家にバス停鉄板が食傷気味になり、
見つけても、まぁいいか、と撮影すら面倒になってくるのでした。
あまりご馳走ばかりまとめて食べても、幸せになれないという話でした(違う?)
Posted by ちょんびん at 07:07
│日田バス
この記事へのコメント
「鉄道の駅に近い位置づけでバス停が設置」
これ、すごくよくわかる気がします。急行や特急などという種別が以前は栄えていたのも同じなのかもしれません。
今は、そんなことではお客さんが乗ってくれなくなり、コミュニティバス化して地域をこまめに回る路線が増え、地域密着となってきましたが、都市間連絡という性格が薄れているのは、寂しく感じることもあります。
これ、すごくよくわかる気がします。急行や特急などという種別が以前は栄えていたのも同じなのかもしれません。
今は、そんなことではお客さんが乗ってくれなくなり、コミュニティバス化して地域をこまめに回る路線が増え、地域密着となってきましたが、都市間連絡という性格が薄れているのは、寂しく感じることもあります。
Posted by Aokumo at 2010年08月27日 13:03
自家用車が増えて、移動手段が多様化した中で、
都市間連絡のバスが成り立つような場所には、
高速道路や高規格国道が整備されています。
そういう流れから取り残される場所の長距離路線が、
もっとも衰退が顕著なように感じます。
コミュニティバスも面白い路線はたくさんありますが、
遠くに行く、というロマンには欠けますので、
非日常を感じさせてくれる場所には長く残ってもらいたいものですね。
都市間連絡のバスが成り立つような場所には、
高速道路や高規格国道が整備されています。
そういう流れから取り残される場所の長距離路線が、
もっとも衰退が顕著なように感じます。
コミュニティバスも面白い路線はたくさんありますが、
遠くに行く、というロマンには欠けますので、
非日常を感じさせてくれる場所には長く残ってもらいたいものですね。
Posted by ちょんびん at 2010年08月27日 21:52