御徳橋

ちょんびん

2010年11月03日 07:07


廃止まで、「21」の名残が消えないままだった、「御徳橋」。
橋の名前のとしては貫禄のある由緒正しい感じを受けます。



バス停の待合スペースの壁に、文化財資料室の案内看板がありました。
下に見える建物がそうなんでしょう。そのほかには一塊の住宅。
遠賀川という大きな川、橋を架けるのも一苦労ですし、
向こう岸に渡れる地点というだけで重要だったはずなのですが、
「20」の走っていた河川敷は、小竹を過ぎると急に人の気配が疎になります。

博多から直方までの快速が、筑前大分から先はほとんど各駅停車なのに、
勝野駅だけは通過するので、「直方まで快速」を名乗っていますが、
そうやってひとつだけでも通過していいかな、と思わせてしまう利用状況なんでしょう。



飯塚方向にもちゃんと屋根付きの待合所が設置されていて、
橋の向こう側のほうが栄えているように見えました。
「20」が生き延びるためには、飯塚~直方幹線だった誇りは忘れて、
御徳橋を渡って東側の人口密集地を通り、
現在の金田平原団地~松原口のように、本線から右へ左へ、
需要の見込めそうなところを縫うように走らなければいけなかったのかもしれません。

って、金田平原団地も来春にはどうなるか、って状態なんですけどね。

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