高千穂駅

ちょんびん

2012年03月23日 17:17


宮崎交通のバスにとっては、ただの途中バス停でしかない、「高千穂駅」。
駅は地形の都合か、町の中心からは外れたところにあって、
バスセンター周辺の賑わいに比べると、閑散とした雰囲気が否めない場所です。

これは鉄道が廃止になってしまったからではなく、
高千穂線として健在だった時代から、そう感じられました。
線路がここまで到達したのが、昭和47年と遅かったせいもあるでしょうし、
高森と連接するのが主目的の鉄道だったため、
中心部に寄るために遠回りするよりは、最短距離の経路を選択したからかも。



そんな高千穂線も、熊本県側とは結ばれることなく、高千穂鉄道に譲渡され、
2005年の水害によって全線が運休となり、2度と列車が走ることはありませんでした。
立派なトンネルと切り通しで、直線的に線路が敷かれています。

日之影までの開通から、高千穂までの延伸に15年の時間格差があり、
掘削技術が発展したのか、用地買収の考え方が変わったのか、
延岡~日之影は川に沿うように走っていた線路が、
日之影~高千穂間では、急に山に向かって突っ込むようになり、
トンネルばかりの路線になっていました。

もしも高森までつながっていたとしても、駅の場所以外は殆んどトンネルという計画でしたが、
阿蘇の地下水は想定を超える量だったようで、実現することはありませんでした。
高千穂線が廃止になった今も、並行するバス路線が混雑しているようでもありませんし、
高千穂~高森の路線も、いつの間にやら廃止になってしまいましたので、
鉄道が全通していたからといって、それほど栄えたかどうかは疑問です。

ただ、経路的には、福岡~宮崎って、
熊本から立野を経由して延岡に抜けたほうが、
人吉から都城を抜けるより近いんですよね。
ですので、路盤強化とか、優等列車の運行とか、運用の仕方によっては、
久大線や豊肥線と同じような位置づけの横断路線として、
存続することも可能だったのかもしれないなあ、とは考えます。



高千穂鉄道は、経費節減のため、
本社社屋は質素な茅葺の平屋を使っていました、という冗談はさておき、



高千穂駅は、鉄道にふれあう施設として存続しているので、
設備としてもほぼ当時のまま残っています。



高千穂~延岡間は、ちょうど50.0キロってことだけは、なぜか私の記憶に残っています。
鳥栖~佐賀間がちょうど25.0キロってこともw



最後に乗ったのは、1992年の春でして、
「ごかせ」の夜行で福岡から延岡まで行き、
そこから高千穂鉄道で高千穂まで来て、バスで高森に抜けました。
20年も昔のことのわりに、とても印象に残っている場所です。

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