東町

ちょんびん

2010年04月17日 07:07


大分坑、ちょっと手前の「東町」。もとの「東町社宅」です。
西鉄のバス停で、昔は一番多いのが東町だったそうですが、
東町が西町に比べて多いのは、東が陽の昇る萌芽のイメージで、
西が陽の沈む終焉のイメージであることと関係があると思います。

沖縄地方などでは、島の東西の突端を、
それぞれ「東崎(あがりざき)」「西崎(いりざき)」と呼ぶ場所が見られます。
東西をそれぞれ太陽の上がる方、入る方として方向認識していた証拠だと思われます。

最初に集落ができる要素は、
そこに水利があったり、逆に水の流れが狭くなっているので橋ができたり、
平地があったり、大分坑のように鉱脈があったりと多様なわけですが、
その後中心集落が手狭になって、周囲のどこかに拡大されるとき、
中心から敢えて西側を選ぶより東側を、
という無意識の価値観が根底に流れているのかもしれません、

もしくは、東側に集落ができたときは素直に「東町」と呼べるけれども、
西側の方が開発環境として容易だった場合は、
新町」「栄町」「今町」などと、西を名前につけることを忌避する傾向があるとか。



神社の境内に桜がすこしあって、



工業施設があるのかもしれませんが、
茂みの中にトラックが入っていく、関係者以外立ち入り禁止の道があって、



遠くに倉庫が並んでいて、



でもまわりを見渡しても、どこにも社宅の名残が見つかりません。
10年後、この場所に戻ってきたとき、ここはどう変わっているのでしょうか。



大分坑最終日の最終バスは、
往復とも元吉→大木、桂川駅より手前→栄町口と乗客がいました。
バス路線の廃止が、地元の暮らしに影響を及ぼさないことを願いますが、
なくなって何も困らない路線というのも、その存在意義がなかった証明であり、
どちらにせよ寂しいことです。

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