2011年08月27日
中原

道路拡張工事の終点交差点、という様相。

右に広い道が続きますが、


バスが進むのは狭いほう、という「中原」。



角の商店かどや、気になる唐あげ。
値段設定からして、細切れを揚げてパックしているのではなく、
半身とか一羽とかをまとめて販売しているようです。

神社。

農協。

Aコープ、と集落の中心なのは間違いないでしょうが、

店はすでに閉店しています。
この日、近くで移動販売車を見ましたので、
この店の前あたりでも、販売を行っているのではないかと思います。
自分たちの世代が老いたとき、
こういう山村集落はどうなっているんだろう、と考えます。
想像力がないので、よくわからないまま考察は終わるのですが、
乗合バスなんてのも、次の世代でどうなっていることやら。

私は小学校から福岡なので、給食のオレンジジュースといえば、フクレン。
佐賀が故郷の友人は、サンレイをこよなく愛しておりました。
今考えると、けっこう地場のものが出てたんだなあ、と思います。
当然ながら、全国のみんなが、唐人ベーカリーのパンとか、
タカベビーのマーガリンを食べてたわけじゃないんですよね。
福岡市内でも、東のほうとかはパンのメーカーも違うのかも。
そんな私ですから、体育の時間に座ったり立ったりするときは、
やあ!と言うのが当然だと思っておりますw 続きを読む
2011年08月27日
平山温泉

南関から平山温泉へ。やまと旅館入口では、堀川バスが停まっていました。

前回より、道路整備が進んでいます。

星子商店は、正面から撮りやすくなりました。


鄙びた雰囲気が持ち味の平山温泉だと思いますが、
中心部とも言える、元湯付近の整備、さて、吉と出ますやら。 続きを読む
2011年08月26日
平原小学校前~古瀬

奥に小学校があって、手前に待合所。


「平原小学校前」。

山側に、分岐。

終点は左、今坂方面ですが、

右に複乗区間があって、


その折返し地点が、「古瀬」。


道路は、必要以上に高規格だと感じる場所です。
玉島から今坂方面への県道308号線から、
山裾にたくさんの側道が延び、
それぞれの先に果実栽培をしている集落があります。
ひとつひとつの集落規模は、ぱっと見ではわからないのですが、
古瀬と戸房に複乗するという事実があるので、
その2箇所は他より賑わっているような気がします。あくまで思い込みw
続きを読む
2011年08月26日
南関

うから館の駐車場から眺める、西鉄の「南関」発着所。

バスが2台。

「55」の上内峠経由は、いいとして、



こっち、「25」は、時刻表や運賃表に記載されている通り、庄山で乗り換え。
これまで出会ったことがなかったので、
庄山まではローザが一般的なのかと思ってましたが、
けっこうこのサイズのバスが走ることもあるようで。
先ほど草村で見かけた5421が戻ってきているので、
大牟田までこのバスが直通してくれるわけではなく、
ローザと同じように、庄山で乗り換えがあるのだと思います。 続きを読む
2011年08月25日
宇木

唐津市のほうから走ってきて、

待合室つきのバス停があって、

その奥の空き地が、

方向転換場所で、

その先に続く道は中央線がなくなり、
バスが進むことはない終点、「宇木」。
バス停鉄板を撮り忘れました。
現状路線は、すべて半田を経由して広田まで行くので、
ここは厳密な意味では終点ではなく、複乗区間の末端です。
日曜日は全便運休ですが、コミュニティバスではなく、昭和バスが走っています。
浜玉や厳木などでは、乗合タクシーへの移行が早かったのですが、
唐津市内は本体がまだバスを運行しているのは、
まだそれなりに乗客がいるからなのか、お膝元としての意地か。
平日にバスに乗る機会が殆どないので、
通勤通学通院という一般的な需給状況を、まったく実感できない、
偏ったバス乗りだな、とは常に感じております。 続きを読む
2011年08月25日
小原下

「小原下」。昨日掲載の、草村の隣。

南関~大牟田は道路が整備されている中、ここは西鉄には珍しい旧道区間。

この坂の上、長山小原という集落に、
そこそこ需要見込みがあるってことでしょう。

新道は、バス停鉄板の左に見える、建物のあたり。
けっこう離れた谷の反対側を走っています。


その新道から眺めると、鮮やかな緑の中を、
「25」のバスが走っていくのが、かなり長い区間見えます。 続きを読む
2011年08月24日
東山田

ここは浜玉町の「東山田」。
もとは昭和バスの終点であり、浜玉町の乗合タクシーに運行が移行し、
市町村合併で唐津市になりましたので、
今は唐津市運営で乗合タクシーが走っているはずです。


道の脇に待機スペースがあるだけのバス停。

坂の上には、まだ住宅がいくつも見えていますが、

集会所があるところで、バス路線が終わります。
この辺の終点は、どこでも幸せになれます。何があるわけではないです。
どちらかというと、農村風景以外は何もない、と言った方が正しいと思います。
バスの終点に初めて行く、という作業は、何があるのかを確認しに行くわけですが、
また、何もないことを確認することも多々あります。
ただ、そこがバスの終点である理由、というのは必ずあるわけですから、
なぜそこまでバスが走ってきているのか、ということに思いを馳せ、
あたりの景色を眺めるだけで、日常に戻っていくことになります。
そんな終点の中で、
ああ、まだ同じようにバスは走っているのだね、という確認のために、
また戻ってきたくなる場所、ってのがいくつかあります。
七山や浜玉、三瀬や富士あたりの昭和バス終点は、
私がまだ中学・高校生で、機動性や財力が今よりさらに低かった時代に、
無理して訪問した場所が多いので、思い入れもその分大きいです。
それはすでに、バスの終点を再訪するという行為でありながら、
自分の過去を辿ることに主眼を置いた作業なのかもしれません。 続きを読む