2012年04月05日
旧太刀浦青浜喜多久跡

西鉄の、太刀浦バス停だったところ。



代替交通は、田野浦までの予約制タクシー

青浜跡

バス停の名残。

集落地図にも、バス停位置が。
でも、代替交通の案内は見つけられず。

喜多久。



生首バス停、喜多久だよと主張。
当初は、喜多久と柄杓田を代替タクシーが繋いでいたのですが、
現在は、大積東口。
乗り継ぐバスの本数を考えると、こちらのほうが便利。



はじめて、集落から海が見えるところまで入ってみました。
もじ少年自然の家も、思ったより近かったです。
北九州市の少年自然の家は、喜多久、田代、頂吉にあります。
自然の、と名乗る通り、住宅の少ない場所に建っているため、
最寄りまでのバス路線は、3箇所とも廃止されております。
2012年04月04日
レーヨン前のネタばらし

宮崎交通、延岡駅からバスで数分の、

「レーヨン前」。

延岡市より南からの路線、ロックタウン日向などから来るものは、
延岡の市街地中心より北にも直行できるよう、
駅より先のここが終点となっています。

終点となったバスは、先の旭化成工場内で転回するようで、

工場からバスが出てくる光景も見られます。

祝子川や今山ニュータウン、桜ヶ丘からの路線は、
スーパーと工場の間を抜けていきますので、
国道を直通するものとの、分岐点にもなっています。


この工場がレーヨンを生産しているので、「レーヨン前」です。
レーヨンは、絹に似た性質を持つ再生繊維のため、
人造絹糸を略して、人絹(じんけん)と呼ばれていたこともあります。
光沢と綿という単語を組み合わせて作った複合語で、
つまりは光る糸、という意味です。


延岡駅側には、今はすでに列車が走ることもない、鉄道の高架橋。
2005年の水害によって壊滅的な被害を受け、
そのまま廃止となった、高千穂鉄道のものです。


隣のバス停は、「中川原町一丁目」。
祝子川の現在の流れからは離れていますが、
川原という地名があるので、近くに支流でも流れていたのかもしれません。
真実というほど大仰なものでもありませんが、
先日の記事よりは、嘘の少ないものとなっております。 続きを読む
2012年04月03日
肥後伊倉駅



玉名の隣、「肥後伊倉駅」

駅前には、小さなロータリーがあるだけ。

片隅に、タバコ屋の跡はありますが、



商店は一段高いところにあって、回り込まないといけない構造です。


あまり線路に高低差が出ないように、
また、玉名から熊本に向かうのに、あまり大回りにならないように、
高台の集落である伊倉の端を通るルートですので、
街の中心部からはすこし離れていて、線路脇も茂みしか見えません。 続きを読む
2012年04月02日
伊倉新町

伊倉宮の前のバス停が、街の中心付近。
そこからバス通りは西へ、

この通りが、荘園を南北に分けた跡、下地中分線。


西の境界点ともいわれる、船繋ぎの銀杏。


「伊倉新町」バス停は、ちょっと手前、

南北の通りから、北に曲がったところ。

窮屈そうに、交差点を曲がったバスが、

商店街を走り抜けていきます。

歴史と史跡の伊倉、素敵な街です。 続きを読む
2012年04月01日
レーヨン前

宮崎交通、延岡駅からバスで15分ほどの、

「レーヨン前」。

延岡市より南からの路線、日向ロックタウンなどから来るものは、
延岡の市街地とに直行接続できるよう、駅の先のここが終点となっています。

終点となったバスは、
後ろのトップバリュ駐車場を間借りして、転回する姿が見られます。


折り返したバスが、また日向市方面に向かって走っていきます。


レーヨン前の由来は、隣にある旭化成のレーヨン工場から。
レーヨンは、絹に似た性質を持つ再生繊維のため、
人造絹糸を略して、人絹(じんけん)と呼ばれていたこともあります。
日本の科学技術の結晶であり、それまで再生繊維では不可能とされていた、
0.5ミクロン以下の細さを最初に達成したため、
0.4という数字にちなんで、レーヨンと呼ばれていたものが、
現在は世界で流通する共通語となりました。


延岡駅側には、今はすでに列車が走ることもない、鉄道の高架橋。
2002年の水害によって壊滅的な被害を受け、
そのまま廃止となった、高千穂鉄道のものです。
もともと、延岡という地名が、
川に挟まれた細長い丘の地形から来ていますので、
雨が降ったときに水の流れが集中するのは、やむえないところです。
現在は祝子川の付け替えによって、ここが川だったとはわかりませんが、
国鉄時代は高千穂線は、延岡を出ると、まず祝子川に沿って走り、
小山をトンネルで抜けたあと、五ヶ瀬川を遡るというルートでした。


隣のバス停は、「中川原町一丁目」。
地名だけが、ここに川が流れていた名残を留めています。
くれぐれもお断りしておきますが、
この記事は、いつにもまして信用されないようにお願いいたします。
投稿期日をご確認いただいたのち、苦笑していただければ幸いです。 続きを読む
2012年04月01日
原通り

3月の改正で改称された、「原通り」。もと原往還。
この道路と、旧電車通りが合流する地点が早良口であるように、
この通りはもとの早良街道なのですが、
原はその中で大きな街だったせいか、
このあたりの区間は原往還という別名でも呼ばれていたようです。
ただ、現在は早良街道の名を、隣の国道263号に譲ったこともあり、
最近、藤崎~次郎丸区間の愛称が募集されて、
原通り、という無難な名前に落ち着いてしまいました。
沿線に弥生や有田などの街もある中、原が代表として名前に選ばれたのは、
地元として喜ぶべきことなんでしょうが、
バス停まで、それに追従して踏襲する必要があったのかどうか。
原往還、風格のある名前だっただけに、惜しいです。
ちなみに、蛇足とは存じますが、投稿日かタグをご確認いただけると幸いですw